熱い汁!!2007年06月11日 00:37

昔、何人かの彫り物師が、お寺の軒下に飾る、
龍の彫り物作りを競い合った。

そのうちのひとりは、後世に名人と謳われる「左甚五郎」という人で、
他の職人が、うろこの1枚1枚もトクサで磨き、
細かい所まできれいに細工した精緻な龍を彫り上げてきたのに対して、
彼は、荒縄のような、無骨な荒削りな龍をもってきた。

周りの人は、まあ勝負はあったなといってほくそえんでいたものが、
全員の龍を高い所にとりつけてみて、唖然となった。

今度は逆に、甚五郎の龍は、
精彩をはなって踊り出さんばかりの勢いなのに対して、
他の彫り師のはのっぺりしてまるでうなぎのよう…。


今日、とある友人のライブにいったのですが、
そんなエピソードを思い出しました。

場所は市民会館大ホール。
生半可なバンドでは音も拡散してしまうような大きな空間で、
彼のパフォーマンスは異彩をはなっていた。
(といっても至極正統派の弾き語りの彼ですが…)

つまり見る(聴く)距離というやつですね。

ひざがぶつかるような狭い空間での、
細かく鍛錬された辻説法のような芸もあれば、
広大な空間で、ものすごい迫力でもって心をぶつけてくる芸もあります。

もちろん音楽家の本質は、音楽の追求以外には無いとは思いますが、
場所の選択というのも、大きなスキルの一つなのだと思います。


それに、甚五郎はわざと荒っぽい龍を彫っただけで、
本当はきれいな精密な細工だってできるはずなのです。

コメント

_ 大和なでしこ ― 2007年06月15日 01:35

写真展などでお世話になりました。お初に書き込みいたします。
「左甚五郎」さん、有名なのでお名前だけは知っているのですが、そんなエピソードがあったのですね。ためになるお話ありがとうございます。

世阿弥の花鏡にある「離見の見」というのを思い出しました。
「見所(客席)より見る所の風姿は、我が離見なり。然れば、我が眼の見る所は、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見る所は、則ち、見所同心の見なり。其時は、我姿を見得するなり。我姿を見得すれば、左右前後を見るなり。」

技術がしっかりしていて、さらに場所や時間や流行や客層などをつかんだ上で表現できたら、本当に一人前ということなんでしょうね。
今は分業がありますが、昔は全部、自分でやらなくてはならなかったわけですから。

_ まるけん ― 2007年06月16日 00:43

どうも。
書き込みありがとうございます(^З^)
昔の芸術家は本当にすごいですね。
「離見の見」とは、素晴らしい教えです。

ぼくも世阿弥の著をしっかりと読んでみたくなりました。

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